emptynames

感じていること、考えていること、好きなこととか。

ライに行った日のこと。

イングランドで電車に乗っていると、車窓から長閑な田園風景を見ることができる。どこまでも続く小麦畑や、日差しが水面に反射してきらきらと映る小川や、羊や馬たちが草を食んでいる、といった具合に。そんな延々と続く平野をずっと走っていると、小高い丘の上にお屋敷が見えた。

その様子がちょっと日本の風景に似ている、と友人と話していると、電車はちょうどライに着いた。
 

f:id:emptynames:20170623032753j:plain

ライ(Rye)はイングランドの南東、海の近くにある街。事前に調べた情報によると三時間もあれば見回ることができるほど小さく、実際、街の端から端まで10分か15分かもあれば歩いていける距離だった。
 
ライに行きたかった理由について少し触れる。
時間もできたし旅行でも、と思ったものの、人が多いところにはあまり行きたくない。「何かがある」見どころを回ってたくさんの情報を受け取って疲弊する旅行をあまりしたくないなあと思った。
むしろ「何もない」ところに行って頭を空っぽにしたかった。
 
自分の住んでいる街からぎりぎり日帰りが可能だということや、日本の旅番組でも紹介され、かわいい街だと聞いていた、ということもあり、片道4時間、4回の乗り換えを経て、ライを訪れることになった。
 
 
朝早く家を出たけれど、駅に着いたのはもう13時近くだった。
まず駅からして完全な無人駅である。駅舎内には鍵がかけられていて、みんな駅舎の横の小さな隙間から出たり入ったりしている。
 
力尽きたのであとは写真たちの力を借りるという姑息な手を使って書き進めたいが、それは終わりの見えない書きかけの小説を無理やり終わらせようとするのによく似ている。
 
駅から北にある教会までは上り坂になっている。石畳の道も多く、広くはないが、歩き回る
のには少々骨が折れた。
 

f:id:emptynames:20170623051218j:plain

 

まずは作家ヘンリー・ジェイムスが住んでいたラムハウスを目指す。いつも思うけれど、誰かが過去に住んでいた、訪れた、と聞くと不思議な気分になる。どんな日々を過ごしたのか、どんな気持ちで作品を書いていたのか想像する。彼は庭仕事にも熱心だった模様。事実、私のカメラの画像フォルダには庭の写真ばかりが残っていた。

 

f:id:emptynames:20170623051912j:plain

 

f:id:emptynames:20170623045815j:plain

 

f:id:emptynames:20170623052554j:plain

 

 教会に向かう途中のお店でライのフリーマップをもらった。

 

f:id:emptynames:20170623032639j:plain

宝の地図みたいにかわいい。実際、わたしたちはライにいるあいだずっとかわいいという万能形容詞を何十回も呟くことになったのだけれど。

 
 
教会の塔は登れるようになっていて、体格のいい人は通れないであろう狭い通路を進み、急な階段を後ろ向きで登り、塔の一番高い部分にたどり着く。
 

f:id:emptynames:20170623050143j:plain

 
今回気付いたけど、わたしは高いところに登るのが好きみたいだった。
以前、旅行をすると必ず街の一番高いところに登ると言っていた友人がいた。そこから街全体を見渡すのが好きだと言っていたけれど、その気持ちが分かるような気がする。
 

f:id:emptynames:20170623065423j:plain

川の向こうに海が見える。
 

f:id:emptynames:20170623050701j:plain

ライは赤レンガの建物が特徴的な一方、 Mermaid Street はチューター式の建物が目立つ。
 
 
一通り街を巡り、時刻は3時過ぎ、何か食べようと思ってお店を探すがお客さんが少ないからかキッチンが既に閉まってごはんを出せるお店が皆無だった。
渡英して最初の頃に驚いたが、人の集まる観光地でもない限り日曜日は5時にもなれば、ほとんどのお店は閉まってしまう。
ライに行ったのは平日だったけれど、その、つまり、カフェのサービスは日曜日並みだった。
定休日のお店も多く、週の内3日間がお休みのお店もあった。
そのくらいの適当さがちょうどいいのかもしれない。
 
 
4時半を回ると学校を終えたティーンエイジャーたちがたむろして道を塞いでいる。
本物のヤンキーを見たことのないので、想像上で補完して、ヤンキーっぽく振舞ってみる人種はどこの田舎にもいるものだな、とイマジナリーフレンドならぬイマジナリーヤンキーたちの横を足早に通り過ぎる(決してoffensiveな意味で言っているわけではありません)。
 
 
通りがかりでAntique and High Class Junk という看板のお店が見えた。ハイクラスジャンクが気になって入ってみるが、その正体は状態がいいヴィンテージのことだった。
むしろガラスの方がメインのようで、ガラス細工の食器やシャンデリア、コンセプトがよくわからない置物がところせましと並べられている
そこで働いている人たちを見て、こういうところで働いているってどんな気分だろう、とふと思う。壊れものを扱うことで普段の生活で用心深くなったり神経質になることもあるのか、それとも逆に大胆になることもあるのかな、と頭を巡らせた。
 

f:id:emptynames:20170623054700j:plain

 
5時を過ぎても日差しがとても強い日だったので、冷たいビールが飲みたくなった。帰り際に立ち寄ったお店でローカルのものが売っていたら買おうと思ったが、生ぬるいエールしか売ってなかった。
しかたないので、たまたま目に付いたカプサイシン入りキューカンバーミントジュースなるものを買った。どうしてそんな地雷臭しかしないものを選んだのか自分でもわからない。一番面白そうですっきりした気分にになれそうだったからだと思う
 
また何もない無人駅に戻り、日本人の発想にはない不思議な味がするジュースを飲みながら、電車を待った。
ベンチに座ってぼーっとしいると赤レンガの中にさっき登った教会が見えた。
 
何もないなあ。
 
でもそれはつまり何かがあったということだと、そんな取り留めもないことを思った。